済衆館病院のあゆみ
済衆館プロムナード(パネル展示のご案内)
済衆館病院の東館と西館の1階連絡通路に、済衆館の歴史をご紹介するパネル展示がございます。
来院の際は是非お立ち寄りください。
当院のあゆみ(沿革)
1914年(大正3年)
人々を救う理念を名に『済衆館病院』の誕生。
済衆館病院創立者 伊藤國松は、明治39年愛知医学専門学校(現名古屋大学医学部)を卒業、25歳の時名古屋で伊藤医院を開業。大正3年に師勝村鹿田へ帰り、北蒲屋敷で白ペンキ塗りの木造二階建て産婦人科医院を開業しました。
新しく生まれた医院に『済衆館』と命名したのが、義父であり、小学校時代の塾の恩師でもある松下多計夫氏でありました。
[右上]済衆館と命名した松下多計夫氏
[右下]カイゼルひげをたくわえた伊藤國松
松下氏が名付けた『済衆館』の済は『救う、助ける』、衆は『人々、多くの人』を意味します。
その由来として推察されるのは、論語の『博施済衆』。博『ひろく』施『ほどこし』衆『しゅう』を済『すくう』と読み、広く人々に恩恵を与え、民衆を苦しみから救済することを示すリーダーの心得といわれています。
大正に授かった『済衆』という名には、國松から後々まで継承される病院の精神が宿っています。
1914年(大正3年) |
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1918年(大正7年) |
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1931年(昭和6年)
不況下、リスクを覚悟で鉄筋三階建ての病院を新設。
[右上]当時の手術室
[右中]当時の毛筆図面
[右下]初代院長が使用した手術器具の一部
昭和恐慌に見舞われ、世の中は不況の真っ只中、國松は目の前の現実だけに捕われるのではなく、将来を見据えて温めてきた大病院構想を実現しようと踏み出します。昭和6年、西春駅の近くに1700坪の土地を購入。鉄筋コンクリート造り三階建ての病院を建設したのです。
この時、國松は50歳。人生50年といわれた時代に、まさにその年齢で高額な借金を背負いました。
戦時中は、病院に近い場所に、上空から燃えるドラム缶のような塊が落とされました。病院が鉄筋三階建てだったことからB29のターゲットにされたという噂も立ち、壁をコールタールで黒く塗って目立たなくしたといわれます。
1948年(昭和23年)
池山茂樹が帰国し、当院に勤務。
國松の次女・真澄の夫、池山茂樹(後の二代目院長)は大東亜戦争にて応召され出征。終戦後、ソ連での抑留生活を経た後帰還し、1948年の10月済衆館病院で働き始めます。
1931年(昭和6年) |
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1934年(昭和9年) |
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1945年(昭和20年) |
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1948年(昭和23年) |
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1949年(昭和24年) |
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1956年(昭和31年)
池山茂樹が二代目理事長兼院長に就任。
[右上]当時の薬局
[右下]当時の待合ホール
シベリア抑留から帰還後8年を経て昭和31年3月に池山は二代目理事長兼院長に就任しました。
池山が済衆館病院で働き始めた頃、勤務していた看護師は7~8人。当時一緒に働いた看護師の一人は、池山の第一印象を『優しさと笑顔が印象的。この先生の下で働けるなんて幸せ』と思ったと言っていました。
1969年(昭和44年)
新病棟の建設により、入院治療を充実。
戦争をくぐりぬけて30年以上使われ続けてきた木造病棟の老朽化が目立ってきたのをきっかけに、未来を見据えて四階建ての新病棟が建設されました。
1952年(昭和27年) |
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1953年(昭和28年) |
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1956年(昭和31年) |
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1960年(昭和35年) |
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1963年(昭和38年) |
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1969年(昭和44年) |
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1973年(昭和48年)
全面新築で機能性を向上。診療科も増やし中核病院として躍進。
[右上]4階病棟廊下の自然換気用ガラリ。木製ガラリで居住環境を良くするアイデアは他に例のないものでした。
[右中]職員寮
[右下]建設作業中の現場にて当時3歳の理事長 今村康弘
1970年代に入り、かつて人々を驚かせた鉄筋三階建ての建物も手狭になり、不便さを感じるようになっていました。
当時の建物は初代院長の記念碑ともいえる建物なので、外観はそのまま残し内部だけ手を入れようという案も出ましたが、将来の為にも全面新築を決断します。病院が全面新築された同じ年には、新たな診療科目も加わりました。
建物というハード面だけでなく、診療科目の増設によりソフト面でも充実が図られました。
1970年(昭和45年) |
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1971年(昭和46年) |
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1972年(昭和47年) |
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1973年(昭和48年) |
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1975年(昭和50年) |
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1977年(昭和52年) |
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1978年(昭和53年) |
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1979年(昭和54年) |
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1981年(昭和56年)
今村達雄が理事長兼院長に就任。
1981年、副院長だった今村達雄が三代目院長兼理事長に就任しました。
現代最高水準の設備を利用することは必要でも、人が器機に使われるようなことがあってはならないと考えていました。
いかに技術が高度化しようとも、医師の24時間は全て医療に捧げられているという意識と現実は変りません。
その気概は職員にも伝わり、『医療に携わる者の勤務時間にリミットはない』が不文律に。
1985年(昭和60年)
最新機能完備の手術室を新設。職員の施設も整備。
[右上]子供達がのびのび過ごす保育室
[右下]職員食道『パウゼ』
『地域の人々が、身近な場所で最先端の治療を受けられるように』という思いから、済衆館病院では最新機能を備えた2つの手術室を新設し、同時使用できるようにしました。
またこの年には職員食堂『パウゼ』、保育室、1LDK職員寮『ヴィラ済衆館』が完成。済衆館病院は職員が気持ちよく働ける環境づくりにも力を入れています。
1986年(昭和61年)
最先端のCTスキャナを採用。
臨床経験をもとに改良・開発が進められた全身診断用CTスキャナを設置。医療技術の進歩に合わせて、最先端の設備が随時導入されています。
1987年(昭和62年)
給食システムにコンピュータ管理を導入。しかし食事は『手作り』で。
この年、新たに給食システムにコンピュータを導入し、栄養管理・食材の在庫管理や発注などの業務が迅速に行われるようになりました。こうしたコンピュータを取り入れながらも治療食はあくまでも手作り。『病態に応じ患者さまの食べたいと思うものを』という姿勢が貫かれます。
こだわりの食事を入院患者さまの元へ届けたのが、特注搬送ロボットカー『クックちゃん』と『ポッポちゃん』。厨房のあった中庭から空中連絡通路を渡り病室まで走行。登場以来10年間、食事をお知らせする6曲のメロディーの流れるロボットカーとして親しまれました。
1988年(昭和63年)
二交代の看護体制の導入でより働きやすく。
1988年、済衆館病院は看護師の二交代制を導入しました。
日勤と夜勤に分かれ、一回あたりの勤務時間は長くなりますが、三交代制よりも次の勤務までのインターバルが長くなり精神的にも肉体的にも疲労感が軽くなったと言われます。また、患者さまにとっても、眠った時と起きた時に同じ看護師が担当していると落ち着くといわれます。同じ看護師が長い時間いる二交代制は、担当者が何度か替わる三交代制よりも安心感があるようです。
1980年(昭和55年) |
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1981年(昭和56年) |
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1982年(昭和57年) |
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1983年(昭和58年) |
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1984年(昭和59年) |
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1985年(昭和60年) |
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1986年(昭和61年) |
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1987年(昭和62年) |
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1988年(昭和63年) |
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1991年(平成3年)
命の重さに対する責任と自覚。救急病院の認定を受ける。
訪れる患者さまを拒まない。この済衆館病院の伝統的精神は、この頃にも脈々と受け継がれていました。
常に患者さまのことを第一に考え、人員や設備、構造、病床数を整備し、既に救急病院としての条件を十分に満たしていた済衆館病院は、何も変更を加えることなく従来のままの体制、設備で認定を受けることができました。それは、紛れもなく済衆館病院が、創立以来この地域に必要とされる病院としての役割を果たそうという責任と自覚を持ち、救急医療と向き合っていたからにほかなりません。
1994年(平成6年)
患者さまを思えばこその決断。熟考を重ねMRIを導入。
MRIは、いかなる方向からも断層画像が得られること、骨や筋肉のみならず神経や軟骨などの評価が可能になることなど、診断における有用性が認識されています。
済衆館病院は、診断の正確性を追求することが患者さまの為であり、この地域の医療を担う病院としての責任であると考え、MRIの導入を決断します。
1995年(平成7年)
CTスキャナーをXvision型に更新。
CTスキャナーをXvision型に更新し、以前よりもスピーディーに、詳細な断層画像を診断に反映できるようになりました。
1996年(平成8年)
混雑の緩和を目指し新たな外来棟が完成。
[右上]新しい外来棟1階の診察室
[右下]盛り付けも美しい誕生日膳
連日、診察を待つ外来患者さまであふれていた状況を少しでも緩和するため、外来棟の増改築に踏み切ります。
医師の疲労を少なくするため南面に診察室を配置し、自然の光や風を取り入れる設計に。テーブルは看護師が立ったまま作業ができる高さに。済衆館病院らしいこだわりが設計の細部にまで行き届いていました。
また、済衆館病院は食事にもこだわりがあります。誕生日を病院で迎える患者さまへの心配りから始まったのが『誕生食膳』。
誕生食膳の場合は調理師が基本メニューを考案。そのメニューを栄養士がチェックし、一人一人に合わせてアレンジします。誕生食膳では季節感、彩りを大切にし、食材や器、下ごしらえにもこだわります。
制限食の患者さまにもおいしい食事を楽しんでいただくため、手間を惜しまず、三分食から並食まで流動食以外の患者さまに提供しています。
1998年(平成10年)
救急医療に対する愛知県知事表彰を受ける。
積極的に救急医療に取り組んできたことが認められ、9月9日(救急の日)に愛知県知事から表彰を受けました。日頃の努力が認知された出来事の一つです。
1991年(平成3年) |
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1994年(平成6年) |
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1995年(平成7年) |
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1996年(平成8年) |
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1998年(平成10年) |
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1999年(平成11年) |
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2003年(平成15年)
療養型 済衆館南病院誕生。
[右上]開院式であいさつする今村理事長
[右下]病棟オーダリングシステムを導入
療養型90床の病院として誕生した済衆館南病院。開院に先立ち、4月5日に開院式および内覧会が行われました。
自治体をはじめ、医療機関・施設などの関係者・地元の方々など215人が参加。地域の期待の大きさを感じさせるにぎわいを見せました。
その後のパーティーでは、職員たちが開院までの苦労を振り返りながら、開院に向けて決意を新たにしました。
2006年10月(平成18年10月)
フェアウェルパーティーが行われました。
92年の歴史を秘めた病院で、別れのフェアウェルパーティーが行われました。
エーデルワイス・ふるさとの大合唱・鎮魂の太鼓の鼓動・・・それは感動と追憶のパーティーでした。
建物解体前日には感謝を込めて建物の清掃を行いました。
2006年11月(平成18年11月)
新病院への全面移転。ケアミックス型病院へ。
健診・ドックセンターの開設
初代院長・伊藤國松による創立から90年余り経ったこの年、268床のケアミックス型病院(二次救急・急性期・療養型・回復期)として新しい一歩を踏み出しました。
新病院への移転に当たっては、入院患者さまが旧病院から新病院のそれぞれの部屋へスムーズに移動できるよう、職員がグループに分かれて役割分担。事前に決めたルートやスケジュール、搬送方法等に沿って行動しました。100人以上の入院患者さまに何事もなく、チームワークで病院移転を乗り切った瞬間、皆の間から大きな拍手が沸き起こったのです。
新病院への全面移転を機に、従来から実施していた健診の拡充を図るためセンター化に踏み切りました。そして平成20年度から開始される特定健診、特定保健指導も視野に入れた取り組みを始めたのです。
2008年(平成20年)
腎・透析センターを開設。入院による透析治療が可能に。
済衆館病院では要望の高まりを受け、この年『腎・透析センター』を開設しました。
多くの透析センターが外来透析となった今、入院透析を中心とし、様々な合併症に対応できるよう備えています。最新の設備と快適な空間を用意するとともに、透析食にも配慮。制限を受ける透析食ですが、済衆館病院では生きる喜びとなるクオリティーオブライフを大切にしています。
2010年(平成22年)
病院機能評価審査に合格。
2月に病院機能評価機構による審査を受け、待望の『認定』の朗報が届きました。改善要望項目のない一発合格です。
当時すでに全国で約3割の病院が認定されており、済衆館病院もここに加わりました。
2011年(平成23年)
歯科・口腔外科を開設
ニーズの高まりを受け、済衆館病院の入院患者さまに安心して歯科治療を受けていただこうと歯科・口腔外科を2011年4月に開設。済衆館病院の入院患者さまと外来患者さまへの治療を始めました。
2014年(平成26年)
済衆館病院創立100周年。今村康宏が理事長に就任。
2014年、済衆館病院は創立100周年を迎えることになりました。
そしてこの年、今村康宏が理事長に就任しました。
済衆館病院は、今後とも地域の皆様とともにある病院として、尾張のケアミックス病院として力を尽くして参ります。
2000年(平成12年) |
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2011年(平成23年) |
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2014年(平成26年) |
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2015年(平成27年)
電子カルテ・320列CTスキャン導入。
当院では平成27年11月9日より『電子カルテ』や『320列CT』を導入しました。
新たに導入した320列CTではX線を出す装置1回転毎に16cmもの広範囲が撮影可能となったため、脳や心臓なら寝台を移動することなく1秒ほどで撮影を終えることが可能です。
2016年2月(平成28年3月)
西館竣工
リハビリテーションセンター・腎透析センター・緩和ケア病棟など、回復期・慢性期に対応している病棟の運用を開始しました。
患者支援センターや在宅支援センターなどを配置し、地域での継続した医療・介護を行うケアミックス病院の象徴フロアです。
2016年5月(平成28年5月)
済衆館 訪問看護ステーション開設
訪問看護ステーションを開設し、ご家庭での療養生活を訪問看護でサポートする体制を整えました。
2015年(平成27年) |
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2016年(平成28年) |
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2017年(平成29年) |
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2019年(平成31年) |
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2020年(令和2年)
認知症疾患医療センター(愛知県指定)開設
認知症疾患医療センターは、認知症患者さまとその家族が住み慣れた地域で安心して生活するための支援の一つとして、都道府県及び政令指定都市が指定する医療機関に設置するものです。
当院はその役割を担う医療機関として指定されました。
2020年(令和2年)
済衆館介護医療院(38床)開設
介護医療院は、医療保険ではなく『介護保険の施設』です。
長期的な医療と介護が必要な要介護高齢者の方を対象に、『日常的な医学管理や、看取り・ターミナルケア等の医療的な機能』『生活施設としての機能』を兼ね備えた病院併設型施設を開設しました。
2021年(令和3年)
新型コロナウイルス感染症専用病床(6床)開設
新型コロナウイルス感染症専用病床へは、入口から病室までは特別な誘導を確保し、感染管理を行っています。
2022年(令和4年)
病院救急車導入(2台)
救命救急士が搭乗する病院救急車を導入し、医療機関間の搬送や施設・在宅の患者さまを当院医師と連絡を取り合いながら、症状の悪化を防ぎつつ搬送を行っています。
2022年(令和4年)
脂肪幹細胞を用いた再生医療を開始
『名古屋大学医学部附属病院 循環器内科』と『医療法人再生会そばじまクリニック』の全面的なバックアップ体制のもと、皮下脂肪の中に含まれる『脂肪幹細胞』を用いた手足の血流障害による痛みや皮膚潰瘍に対する再生医療を開始しました。
2020年(令和2年) |
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